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すべてを「ゼロ」にしてスタートアップする元Webディレクターの舞台裏

噂の『永遠の0』を鑑賞。「永遠の0」の意味を考えてみた。

年の瀬にもなり、あと3日も寝ればお正月ですね。

毎年言うことですが、1年は早いですね。時間とは有限なのだと気づく今日この頃です。

一昨日、私も今年の仕事納めだったのですが、午前中で退社して午後から噂になっている『永遠の0』を見てきました。

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感想としては、心に響く良い映画だなというのが率直な感想です。

岡田准一(宮部久蔵 役)、三浦春馬(佐伯健太郎 役)、井上真央(松乃 役)が出演しているのですが、なかでも岡田准一という役者としてのクオリティが凄すぎます。

 

岡田准一が演じた宮部久蔵。

何よりも家族を愛し「生きる」ということに対し誰よりも執着した男が、なぜ最後の最後に特攻へ志願したのか…。

天才零戦パイロットでありながら”海軍一の臆病者”というレッテルを張っていた理由。ストーリーが進むうちに、その謎が解けていくのが分かる映画でした。

岡田准一の演技の中でも、一番印象的だったのが、特攻として送り出す兵隊の教官となってからのやつれていく姿。

映画後半の壁に寄りかかって座っているシーンが一番身震いがした瞬間でした。

とにかく感情を演技で表現することにこれほどまで岡田准一が長けていたとは思いませんでした。

①当時では考えられない、生きることに対して強い意志があった宮部久蔵
②特攻として生徒を送り出していた失意の宮部久蔵
③最後、特攻として空母に突っ込む際に、笑った宮部久蔵

この時の感情の違いを表現するのはとても難しいのでは!?と素人ながら思ったのですが、それを演じきったのがとても凄いと思いました。

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(公式HPより:http://www.eienno-zero.jp/index.html

後半は、ちょっとストーリーが強引な印象もありましたが、「生きる」ことに対して努力していない自分自身がいることにも、映画を観終わった後に気づきました。

自分は何のために生きているのか?

自分が死んだ後に、誰が悲しむのか?

誰に迷惑がかかるのか?

そんなことを考えたことがなかっただけに、いつ死ぬか分からない自分に対して、ちゃんと残された人に対しての配慮・気遣いをすることが大事だと感じたのです。

 

今年は、「風立ちぬ」も観ました。これは、零戦を作る側から描いた映画でした。年を重ねるごとに、戦争を体験された方は少なくなってきました。

平然と生きている私たちがいるのも、その戦争で一生懸命に生きる努力をされた方がたくさんいるからこそ、今の自分がいるんだなと深く深く思いました。

 

今年の正月は、その戦争の時代を生き抜いた長野の祖母のところへ行く予定です。私の祖父は、自衛隊の隊長でした。もう亡くなってはいますが、葬式には何百人もの後輩が来て、祖父の偉大さを感じたことを今でも思い出します。

祖父も祖母もあまり戦争のことは口に出しません。

その時代に何が起きたのか?

健太郎ではありませんが、私の祖父が戦争をどうやって生き抜いたのか。

知ってみたいと思った映画でした。

「永遠の0」の意味を考える

最後に、ネットで話題になっている「永遠の0」というタイトルの意味。

「0」は、零戦の「0」というのは映画を見ればすぐ分かるのですが、「0」になぜ「永遠の」が付くのか?

特攻は、十死零生というくらい生きる希望は「0」である。なんとなくではあるが、「永遠の0」のタイトルからは私はこう感じた。

「生きることは永遠ではない。だから生きる努力をしろ。」

そんなメッセージを私なりに受けました。

 

人それぞれ感じ方は違うと思います。

でも私には、生きる努力をすることに対して無意識もしくはしていない現代において、戦争の時代の生きるための努力をしていた人のように、自分たちがしているのか?ということを強く考えさせられたのです。

 

地球温暖化などの地球問題、日本の不安定な政治・経済や貧窮格差。それは、将来自分たちの子孫が生きるために、今私たちが何をやるべきかを考えて行動することが大事だということ。

 

久々に考えさせられた良い映画でした。
実は、原作本をまだ読んでいません。

この正月で一度読んでみようと思います。